嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(72) | 詩はどこにあるか

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* (小さな時を)

むかいあつて持ち合う

 と静かに「意味」をつないで動くことばは、転調し、思いがけないことばを呼び寄せる。

皿の上に匂う林檎は
そのときの水の中の遠い酔いを感じさせる

 「遠い」ということばが象徴的だが、このことばにたどりつくまでは「遠い」もの(そのとき=過去)が書かれている。しかし、皿の上の林檎は現実だ。事実だ。そして、それを強烈に印象づけるのが「匂う」という動詞だ。
 「匂い」が動いている。「匂い」が嵯峨の体のなかに入ってくる。「匂い」と嵯峨が一体になっている。
 「事実」とは対象と自己が一体化して生まれる。









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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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