嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(64) | 詩はどこにあるか

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* (それが人の世というものです)

 どういうものが人の世か、具体的なことが(しかしかなり抽象的に)書かれたあと、最後の二行。

大きな夜がしずかに傾斜する窓ぎわで眠ります
ある大きな手からわたしにだけつづいているいつもの深い眠りに

 「ある大きな手」とは「わたし」を超える存在である。それと「わたし」がつながっている。「わたしだけに」と嵯峨は書いている。ここに詩人の「特権」がある。それは認めるしかないのだが、私はこの「特権」が嫌いである。
 「特権」があるから「人の世」を、人とは違った生き方で生きていける、という考え方には異を訴えておきたい。





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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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