嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(55) | 詩はどこにあるか

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* (この重量のある金庫は)

いまも大きな鉄の扉が閉されている
神と悪魔と閉じ込めている扉の前に立つて

 この二行のあとに、どうことばをつづけるか。
 私は神も悪魔も実感として体験したことがない。だからどうしても「頭」で考えてしまう。嵯峨は、どうか。

人間は何を考えているだろう

 「考える」に、やはり、「頭」を感じる。もし神、悪魔がいるとしたら(あるいはその存在を実感しているのだとしたら)、考えても始まらないだろうと私は思う。
 「考える」というのは人間の仕事だが、ここから詩が始まるとは私は感じない。











*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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