嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(36) | 詩はどこにあるか

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* (ぼくはおまえの部厚い白い胸を力いつぱい踏みつけたい)

 「白」がつづいている。しかしこの部分では「あなた」ではなく「おまえ」ということばがつかわれている。「おまえの部厚い白い胸」の「おまえ」はこれまで書かれてきた「あなた」とは違う人間なのか。「ぼく」はあいかわらず「ぼく」であるが、同じ「ぼく」であると言えるのか。
 きのう「転調」ということばをつかったが、この詩では「転調」しているのだ。

おまえの弾力のある白い胸を
ぼくは天までとどけと踏みつけたい

 「天までとどく」のは何だろうか。「白い胸」ではないだろう。白い胸は踏みつけられている。天に届くはずがない。踏みつけられる「おまえ」の「声」か。あるいは踏みつける「ぼく」の「声」か。「怒り」か。
 「踏みつけたい」ということばに目を向けてみる。「踏みつける」ではなく「踏みつけたい」。つまり、踏みつけてはいない。思っているだけだ。その思い、「怒り」を届けたいのだ。


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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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