「あれから」とは何を指すか。「答え」は詩のなかに書いてあるが、直接的でおもしろくはない。おもしろいのは、その「直接性」をどうやって言い直すかである。詩はいつでも、言い直し(余剰)のなかにある。
ぼくは白い雄鶏がひろげる陽にかがやいている羽根をみつめる
あのみずみずしくも逞しい六月鶏を
「ぼく(嵯峨)」鶏をみつめながら、鶏になる。鶏は「ぼく」の比喩なのだ。「陽にかがやいている羽根」、それを「ひろげる」動作。「みずみずしく」「逞しい」。
「答え」はつまり、その対極にある。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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