末尾に「--音丸という妓あり」と書かれている。「あのひと」というのは「音丸」のことだろう。
ぼくはふと手くびに重みを感じる
あのひとの心からなにか去つていく静けさが
いまぼくの手につたわつてくるのだろう
この三行は不思議だ。「手くびに重みを感じる」のは、「音丸」が嵯峨の手首を握ったからか。
その手の接触によって、音丸の心にあるものが、嵯峨の手につたわってくる。この動きを「あのひとの心からなにか去つていく」ととらえているところが非常におもしろい。
もし、つたわってきた何かが「愛」ならば、いったいどうなるのだろう。
「愛」はつたわってきて、嵯峨のものになった。それを女の側からとらえなおすと「去る」という動詞になるのなら、そのあと、音丸の心のなかには何が残っているのか。「愛」は残っていないことになる。
おそらく「かなしみ」が残るのだ。
嵯峨は音丸と別れたのだろう。あるいは、音丸は嵯峨と別れたと言った方がいいのかもしれない。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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