嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(20) | 詩はどこにあるか

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* (きゆうにぼくが立ちあがると)

 大淀川河口の風景である。

奥の繁みに射しこんでいた河明りがみるみる消えはじめた
大きな鳥が一羽あわただしく飛びたつた
汐くさい獣のように満潮の入り江が膨らんでいる

 「消えはじめた」「飛びたつた」と過去形の描写がつづいたあと、「膨らんでいる」と動詞が現在形にかわる。この瞬間、私は、入り江の膨らみの生々しさを感じる。まさに獣が腹を膨らませて息をしているような生々しさを。「膨らんでいた」でも同じ風景のはずだが、現在形の方が、その場に嵯峨といっしょにいる気持ちになる。いっしょに生きている。「感情」がいっしょに生きている。








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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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