嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(19) | 詩はどこにあるか

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* (いちど立ちどまつてまた歩きはじめた)

 「いちど立ちどまつてまた歩きはじめた」という冒頭の一行は、なかほどで不思議な形で反復される。

一つの唄が唇に浮かんできたがそのまま消えてしまつた
唄はぼくの孤独のころを想いだして消えてしまつたのだろう

 「唄」は「唇」まで歩いてやってきた。けれど、そこで止まってしまった。歩き続けなかった。ふたたび歩くことはなかった。
 これだけなら一行目とは逆の動きになる。
 しかし、そのあと「唇」は「想いだす」という動詞として動いていく。思い出の方へ歩いていったのだ。
 「浮かんできた」は「想いだす」と同じ意味を持っている。過去(思い出)からやってきて、立ち止まり、思い出(過去)の方へと歩き始める。
 一行目も同じ「感情」を持った行である。「高鍋町」と、最後に書かれている。







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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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