嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(16) | 詩はどこにあるか

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* (その灰いろの蔓にはなにも残つていない)

一粒の葡萄の実もなく
一枚の枯れ葉もついていない

 これを嵯峨は、次のように言いなおす。

しかしそれはなんと静かなことだろう

 実も葉もない。けれど「静かさ」がある。「静かなこと」がある。詩はここで完結してもいいと思うが、嵯峨はさらにことばをつづけ、こんなふうに言いなおす。

どこかにぼくの知らない価値があるようだ

 「静かなこと」は「価値」である。それまでつかわれてこなかった「ある」という動詞が、それを「念押し」している。わかりやすくなったが、つまらなくなった、とも言える。









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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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