即位の礼のパレード。
私は見る気もしないし、見てもいないのだが。
言いたいことはある。
平成の天皇は、安倍によって強制生前退位させられた。
ひとによっては、天皇が自主的に生前退位したと言っている。
どちらにしろ、これは今までになかったことである。
今までになかったことが起きたなら、それからつづくことがらが今までと同じであっていいはずがない。
変えないといけない。
即位の日をいつにするか、元号をどうするか。
そういうことは国会できちんと議論して決めないといけない。
国会にはそういうことを議論する時間的余裕はあった。
けれどそれをしなかった。
きのうの夜(?)、大がかりな行事とか、きょうのパレードとか。
そういうことも国会で議論しないといけない。
なぜ議論しないのか。
これは、「平成の天皇は、安倍によって強制生前退位させられた」ということの証拠の一つになるのだが、安倍が天皇制を安倍の宣伝に利用するためである。
安倍だけが天皇を自由にあやつる。
天皇をあやつって、安倍が望む天皇と国民との関係をつくりだす。
天皇を「象徴」ではなく「元首」にしてしまう。しかし、「元首」といっても「国政に関する権能は有しない」。つまり「お飾り」である。
「天皇」を「お飾り」にしておいて、「天皇」から「国政に関する権能」を委託された「元首代理」が「首相」であるという位置づけを国民にすりこむ。
そういうことをするためである。
「天皇」は、たんに「家系」を古くまでたどれるというだけの人間である。
しかも、その「家系」にしろ、もし「平家物語」が正しいとするならば、天皇は幼いまま(つまり、だれかと性交して男子を妊娠、出産させるということのないまま)、安倍の出身地近くの海で死んでいる。つまり、そこから「脇」へずれた家系になっている。それ以外にも、いろいろと「脇道」へずれているかもしれない。
「南北朝時代」という、どっちが天皇かわからない時代もあった。(私が知らないだけなのだろうけれど。)
さらに、「側室」もたくさんいるらしい。男子ではなく女子を産んだ側室、あるいはあとから生まれた男子(まさかひとり男子が生まれればいいというわけでもいなだろう。平家物語の例があるくらいだから)はどうなったのか。側室のその後も含めて、「闇」の部分がたくさんある。
そういう人間を、いったい何のために尊敬しなければならないのか。
これだけ「男女平等意識」が進んだ時代に、どうしてそういうことに対して疑問の声がおきないのか、不思議でならない。
「天皇制」は、安倍の「家長制度」を復活させたいという野望のために利用されているにすぎない。
「天皇制」は国民統合の象徴ではなく、「家長制度」の象徴である。
そして「家長」がすべてを支配するというのは、「独裁」を目指している安倍の姿そのものなのである。
日本という国の「家長」になって日本国民を支配する。
そのために「天皇制」を利用する。
その「洗脳」作戦とも言うべきものが一連の「即位」がらみの儀式である。
そういうことに利用される「天皇家」というのは、あまりにもあわれである。