* (ぼくのなかに)
ぼくのなかに
ぼくのなかにどこまでも長く突き出ている堤防
「ぼくのなかに」が二度繰り返されている。「ぼくのなかに」、その堤防があることを確認している。その堤防は
朝やけの大淀川
といっしょになって存在している。嵯峨にとっては「大淀川」と「堤防」は分離できないひとつの風景である。
「ふるさと」というのは、その土地を離れることによって「ふるさと」になる。そこには「愛」と同時に「否定」がある。この「否定」を嵯峨は「反抗」と呼んでいる。
詩は、こうつづく。
そのすべてをしずかに消そう
目まぐるしい愛にむかつて
反抗の歌をながくながくふるわせよう
それからそのピアニシモに最後の憩いをもとめよう
矛盾に満ちた行である。「しずかに」「ピアニシモ」「ふるわせる」ということばが、その行を結びつけている。それは消しても消しても消えない静かさであり、ピアニシモである。それが嵯峨にとっての「ふるさと」である。