嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(10) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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* (掌をひらけば)

 「掌をひらけば」という一行は、どのような行ともつづけることができる。きのう読んだ「満目罌粟の野原だ」とつづけることもできる。二行目は論理を中心に据えると、必然ではなくなる。詩を書いたその日の「感情」の必然が二行目を動かすことになる。

掌をひらけば
ごうごうと松風の響がする
虹を待つた年少の日の記憶が懸かる

 「記憶」が「感情」ということでもある。
 私はこの「記憶」よりも、それにつづくいまの「認識(感情)」に詩を感じる。

ああ 掌を裏にかえせば
悪の山脈は暗くかぎりなくつづいている

 「悪」「暗く」と抽象的にしか語られていない。その「ためらい」に嵯峨の本質があるかもしれない。









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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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