嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(78) | 詩はどこにあるか

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無言経

* (記憶には)

泉がつながつている
数珠玉のように

 「記憶に」でも「記憶は」でもなく、記憶「には」。私は、ここでつまずく。
 「主語」は何だろう。
 次に来る「泉」だ。
 「記憶」は起点であり、動かない。動くのは「泉」だ。
 でも、嵯峨は「記憶」を強調したい。

そこを通りぬけてまつすぐに行くと
廃寺がある

瞬くと
全景が記憶の彼方へ消える

 そのとき「泉」はあるのか、ないのか。私は、ただ広がり続けている「水」を思い浮かべてしまうのだ。
 広がり続ける水の静謐。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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