雷雨に襲われて蜘蛛の子を散らすように逃げだした
そこは日ましに強い日照りの油地獄が待つているところとも知らずに
人間は「知らずに」行動する。
いや、「逃げる」ということは知っている。知っていることは「逃げる」ということだけだから、その「知っていること」をやる。
そのために、複雑になる。
何が?
人間というものが。つまり「ことば」が。
こういうことを考えるとき「蜘蛛の子を散らす」「日照りの油地獄」という耳慣れたことばが侵入してくる。それは「知っている」ことばだからだ。ここにもことばの複雑さがある。知っていることばしかひとは動かせない。「わかっている」のはことばにならない何か、肉体を貫く「本能」のようなものなのに。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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