論理からはじまる抒情。論理というよりも「思考する」かもしれない。あるいは「精神」と言い換えることもできるかもしれない。
その記憶の蘇生を待つぼく自身を 水を 砂を
生きるためにぼくは空のなかに路を探した
「失う」は「探す」と対になっている。しかし「探す」という動詞にたどりつく前に「待つ」という動詞がはさまれている。「生きる」も経由しており、これは「蘇生(する)」という形でも隠れている。しかし、「待つ」の方が興味深い。
「待つ」とき、ひとは何もしない。ただ「待つ」。「待つぼく自身を」「探す」とは、「ぼく」を探すというよりも「待つ」という行為を探すことだ。
ひとは「待つ」ことができないのかもしれない。思考してしまう。そういう人間の「本質」があらわれている。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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