嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(63) | 詩はどこにあるか

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* (たしかに)

ぼくはうわのそらで話を心の遠くに聞いている

 「うわのそら」と「心の遠くに」はおなじ。なぜ言いなおしたのだろう。「うわのそら」では「実感」ではないと思ったからだ。慣用句は「意味」をつたえるには便利だが、きもちをつたえることにはならない。
 「遠い」は、きのう読んだ詩にも登場した。

しかしぼくの心の一方から他の一方への間ほど遠いところはない

 きょうの詩は「遠い」(形容詞)ではなく「遠く」(副詞)。「動詞」をつかって言いなおすと「遠ざかる」になるか。

ぼくはうわのそらで話を聞き、こころは話から遠ざかっていく

 動詞にすると「肉体」が動いていく。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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