われにかえると
薄暗くなつたところから灯のはいつた二階家が現われる
この詩には、ここだけ「過去形」ではなく「現在形」があらわれる。「出来事」(起きたこと)と認識しているのではなく、いま「起きている」と認識している。
さらに一歩進んで、嵯峨はいま「生きている」。一軒の家として生きている。その家と一体化しているとわたしは「誤読」する。家を見ているのではなく、家になっている。
「薄暗くなつたところから」「灯のはいつた二階家が現われる」ではなく「薄暗くなつたところから灯のはいつた」「二階家が現われる」と私は読む。嵯峨の「肉体」のなかの「薄暗くなったところに灯がともる」、そして嵯峨自身が「二階家」になる。二階家に生まれ変わる。--その瞬間の「心象」がことばになって動いている。
そんなふうにして嵯峨は「心象」の「家」へと帰る。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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