嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(49) | 詩はどこにあるか

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* (水の冠をかぶろう)

水の冠をかぶろう
光りにはたどりつけなくても水の国へはたどりつけるだろう

 「水の冠」はもちろん比喩である。しかし何の比喩だろうか。
 「水」の対極にあるものは「火」。「火」は「太陽」であり、「太陽」は「光」だ。二行目の「光り」を太陽と読むと、太陽の対極に「水」があるということになる。「光りの冠」がどこかで思い描かれていて、それとは対極にある「水の冠」を嵯峨は選びとろうとしている。
 太陽と天にあり、水は地にある。地よりも低いところにある。
 そして、もし「水」と「光り」に共通項があるとすれば、それは「透明」。
 天にある透明な光ではなく、地よりも低いところ、深いところにある水の透明さを選ぶ、と嵯峨は書いているのだと思う。













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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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