嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(45) | 詩はどこにあるか

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* (ぼくは何も批評したことがない)

美はついになにも語らない
ただ自分をかくすだけだ

 美が何かを語るとすれば、それは「批評」になるということか。「批評」というかたちで自己表現するのではなく、「批評」しないことによって自己表現をする。そのことを「かくす」と呼んでいる。
 隠してもあらわれるものが美ということになる。

 批評しない。では、美とはどう向き合えばいいのか。
 嵯峨は、ただ、いっしょにそこに存在する、といいたいのだろう。美がある。その存在の場所に自分の身を置く。そして、美の前で自分自身を消す(かくす)。












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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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