嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(34) | 詩はどこにあるか

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雑草詩篇 Ⅱ

* (曙はその銀色の)

曙はその銀色のターバンをはずして
雪の沈黙の中から
今日 ある世界として現われる

 一行目の銀色は想像を裏切るが、二行目の雪によって「現実」になる。この「なる」を「ある」と言いなおして、三行目は書かれている、と私は読む。
 「或る」ではなく「在る」。
 「在る」と「現われる」が同時に書かれることは、「学校文法」からみれば「間違い」である。「学校文法」的には「あるひとつの世界」として「現われる」ということになるが、それでは「弱い」。「論理的」すぎてつまらない。「現われた世界が、在る」とことばを倒置させて読むのでもなく、いま「在る」世界が「在るという姿」そのままに「あらわれる」。むき出しの「在る」を体験するのだ。







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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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