嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(19) | 詩はどこにあるか

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「火の鳥」

* (なにもかも)

なにもかも燃やしつくそうとして
自分で燃えつきた火の鳥
空を炎でかきまわし
存在しない名をかいて飛びさる火の鳥

 火の鳥は、「どこに」名を書くのか。「何で」名を書くのか。
 二連目。

他の空はむなしく
心のはてまでのびていて大きな虹がかかつているだけだ

 火の鳥がいる場所が火の鳥の空になるのか。
 「他の空」ということばが、何か巨大に感じられる。
 「むなしく」は「他」を修飾するようにも、次の行の「のびる」を修飾するようにも、「虹」を修飾するようにも、さらには「かかる」を修飾するようにも読むことができる。その対象を限定しないことばが、「巨大」という感じを呼び覚ます。
 嵯峨が書きたかったのは一連目かもしれないが、私が「読む」のは二連目である。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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