ぼくの影はいつもぼくの生について語りたがつている
太陽が斜からさしてくると
ぼくは影の重さで傾きながらそれがうまく掴まりそうだ
「語りたがつている」は、「語っている」とは違う。まだ「語っていない」。つまり、ことばになっていない。でも「語りたがつている」ことは、わかる。
これは不思議な「均衡」である。
「均衡」だからこそ、「重さで傾く」ということも起きる。「均衡」がくずれる。「斜」は「均衡」がくずれることを象徴している。
「掴まりそう」は微妙だ。嵯峨は、ぼくはそれをうまく掴まえられそう、という意味でつかっていると思うが、逆にぼくが掴まえられそう、とも読むことができる。
「ぼく」と「影」は分離できないものである。だからこそ、瞬時に主客が入れ代わるのかもしれない。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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