10 ベリー・午後二時 | 詩はどこにあるか

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10 ベリー・午後二時



「タラマ・ド・レンピックというのは
いつの時代の画家ですか」
ポスターの色はさめて暗い
視力を寂しくさせる横顔である
だがどんな時代の特徴も見出せない
見る力がなくなった
眼ではなくこころに見る力がなくなった
客に答えるコックの声は聞きとれず
突然話題が変わったことを知らされる
「ベリーというのは木の実
ではなく腹、食べてふくれ上がった腹のことです」
知っていることしか頭に入ってこない
入ってこないことを認めるのはつまらないので
「肖像神話」という文字のなかに逃げていったものを探す
しかしこころは動いていかない
細い明朝のかたちが全体をおさえている
少し古くなったスタイルに突き当たって立ち往生する
「ここの鏡、きれいに映るわね」
知らん顔して女は襟をなおしている
鏡のなかから街へ出て行く用意をしている



(アルメ234 、1985年06月25日)