池澤夏樹のカヴァフィス(97) | 詩はどこにあるか

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97 そのはじまり


彼らは、法にそむく快楽を味わった
寝台から起きあがると、
口もきかずに手早く衣服を身につける。
別々にこっそりとその家の外へ出て、
それぞれになんとなく不安な顔で道を急ぐ。
少し前にいかなる類の寝台に横になっていたか、
道ゆく人々にわかってしまうのを恐れるように。


 一連目の全行だが、その最後の二行が強い。「いかなる類の寝台」は「法にそむく快楽を味わった/寝台」のことだが、問題は「寝台」ではない。「法にそむく快楽を味わった」である。
 でも、ここから先を区別するのはむずかしい。
 「法にそむく」と「快楽」、どちらがより問題なのか。「道ゆく人々」に「わかる」と困るのはどちらなのだろうか。客観的には「法にそむく」ということになるかもしれない。わかってしまえば法に問われる。でも、そうではなく「快楽」の方に重心があるように思える。
 「法にそむいた」も表情というか、肉体に出るかもしれないが、「快楽を味わった」の方が肉体の表に出てくるのではないだろうか。まず「快楽を味わった」が外に出てきて、それからその「快楽」のあり方を問われる。ひとは「法」をくぐりぬけられるが、「快楽」からは逃れられない。

 二連目。


しかし、芸術家の人生はそれでなにかを得た。
明日、明後日、何年もたってから、彼は力強い
詩行をつづるが、そのはじまりはここにあった。


 池澤は、


一つの体験を描写した上で、それがいずれ詩に昇華することを示唆しつつ、この過程が詩になっている。とすると、ここに言う「力強い詩行」はこの作品自身ではないということになるか。円環的なからくりがおもしろい。


 と書いている。
 私は先に書いたように、一連目の終わりの二行は強いと思う。もう、その強い詩ははじまっている。







 


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