池澤夏樹のカヴァフィス(44) | 詩はどこにあるか

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44 シャンデリア

 緑の壁に囲まれた部屋。そのなかに輝くシャンデリア。でも、これはシャンデリアの描写だろうか。


その炎の一つ一つの中で官能の熱病が、
淫蕩な欲望が、燃えている。

シャンデリアの強い光によって
明るく照らされた小さな部屋の中から
通常の光は外へ漏れない。
快楽の熱は、臆病な
肉体のために作られてはいない。


 私は「シャンデリア」をカヴァフィスが恋した男の「比喩」と読む。
 部屋の中には男がいる。官能の熱病で、肉体は発光している。美しさにカヴァフィスは動けないでいる。
 二連目の「シャンデリアの強い光によって/明るく照らされた小さな部屋の中から/通常の光は外へ漏れない。」は日本語の文法としておかしな感じがする。シャンデリアの光が強いなら、その光は外に漏れるかもしれない。その強い光は漏れるが、「通常の光(凡庸な光)」は漏れない。つまり、「強い光」のなかに吸収されていて(一つになっていて)、識別できないということだろうか。
 論理的ではない、というべきなのか、論理的すぎる(理屈になりすぎる)というべきなのか。
 部屋を「肉体」、シャンデリアを「欲望」と読み替えてみようか。
 肉体を突き破ってあふれてくるもの(漏れてくるもの)は、快楽を知っている強い欲望の熱(光)である。熱は(病気の熱は)、肉体をむしばむ、傷つけるが、この欲望の熱は肉体を輝かせる。快楽の熱は肉体を強靱にする。
 その肉体にカヴァフィスは圧倒されている、ということか。
 しかし、同時に、その強靱な光を見る視力をカヴァフィスは持っている、と自慢しているのかもしれない。

 池澤は最後の二行について、こう書いている。


詩人は官能の面で自分が一般の人々と違うこと、快楽の戦士たち(41「わたしは行った」)の一人であることをかく表明する。






 


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