池澤夏樹のカヴァフィス(43) | 詩はどこにあるか

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43 エウリオスの墓


美しいエウオノス。
彼はアレクサンドリアの人、二十五歳。
父からはマケドニアの旧家の血を引き
母方は歴代の行政長官を出した家柄。
アリストクレイトスについて哲学をおさめ、
パロスからは修辞学を学んだ。
テーバイでは聖書を研究し、アルシノイトス地方の
歴史一巻を書いて、少なくともこれは後に残る。


 池澤は「登場する人名はすべて架空」と書いている。
 名前が架空なら、そこに書かれている他のことがらも架空になる--と考えるのが普通かもしれないが、逆かもしれない。名前は架空だが、彼が行ったことがら、「哲学をおさめ」「修辞学を学び」「聖書を研究し」「歴史書を書いた」はほんとうということかもしれない。そういう人は実際にいただろう。
 カヴァフィスはどうだったのか。私はカヴァフィスの人となりというか、来歴を知らないが、そういうことをするのが夢だったのだろうと思う。
 ことばは「事実」を書くと同時に、まだ実現していないものをも書くことができる。そして、人間というのは不思議なもので、まだ実現していないものの方をほんとうの自分の姿だと考える。つまり、それへむけて動く。
 「42 文法学者リシアスの墓」の感想で「シェークスピアが英語の慣用句を多用したのにならってカヴァフィスもギリシャ語の慣用句を多用したのだろう」と書いたが、正確には、シェークスピアが英語の慣用句を多用したのにならってカヴァフィスもギリシャ語の慣用句を多用した「かった」のだろう、と書くべきだったかもしれない。


より貴重なものは失われた--彼の姿、
アポローンの幻かと思われたその美しさは。


 しかし、これは「理想の自画像」というよりは、「現実の恋人」の姿と読みたい。恋人に、「哲学をおさめ」「修辞学を学び」「聖書を研究し」「歴史書を書い」てほしかったのだ。自分の「鏡」になってほしかったのだ。
 そういう「欲望」が隠された詩。





 


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