高橋睦郎『つい昨日のこと』(136) | 詩はどこにあるか

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136  無際限の墓

 「意味」が強い。「意味」ではなく、その「強さ」の方を感じ取ればいいのかもしれない。


死んだ彼は焼かれて遺灰になり 海に撒かれた
地球を覆う海ぜんたいが 彼の墓になった
太陽の熱が海水を吸いあげれば 天空も墓
吸いあげた水が雨と降れば 野も山も墓
彼は宇宙になった 否 宇宙が彼になった


 最終行の「否」が「強さ」を強調している。この「否」はなくても「意味」はつうじる。つまり、言い換えると、この「否」は「即」である。

彼即宇宙 宇宙即彼

 この「彼即宇宙」から「宇宙即彼」の「言い換え」の瞬間、「否」が入り込んでいる。強烈な接続を「否」ということばで切断する。切断することで、そこには決して切ることのできない「接続」があることを示す。
 ここからさらに、こんなふうに「誤読」を重ねてみる。

彼即死 死即彼

 「彼」と「死」の関係は、こう言い換えることができる。そして、そう言い換えた瞬間「死即生/生即死」ということばがやってくる。「宇宙」が「墓/死」と呼ぶとき、「宇宙」はまた「生」そのものとして「彼」を高橋の眼前に呼び出す。
 だから、詩を書かずにはいられない。
 「彼」が誰を指すのか私は知らないが、高橋にとって重要な人だったのだ。「名前」を言う必要がないくらい、高橋の「肉体/いのち」そのものに組み込まれた人だったのだ。