高橋睦郎『つい昨日のこと』(131) | 詩はどこにあるか

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131  一人が立つには


彼が殺したのは生みの父ではなく 年の離れた兄
場所は 人気のない曠野の三又みちではなく
国際都市の 旅行客でごった返す空港ロビー
それも みずから刃ものを握って ではなく
行きずりの女に持たせた毒薬を噴射させて


 これは北朝鮮の指導者を描いている。「時事詩」と言えるかもしれない。しかし、もしギリシア悲劇作家が現代も生きているとすれば、このできごとも劇にしただろう。いまさら「人気のない曠野の三又みち」はない。やはり、「国際都市の 旅行客でごった返す空港ロビー」の方が劇に向いている。古代ギリシアが「空港ロビー」を舞台にしなかったのは、当時、空港ロビーがなかったからにすぎない。
 そう思って読むと、これはもう完全に「ギリシア悲劇」である。


一人が立つには 他の何人もが倒されなければならぬ


 「ならぬ」の断定が「強い」。この「強さ」は集団(国家)が引き起こすのではなく、個人が噴出させる「強さ」である。


場所はまっぴるまの雑沓でなければ 早朝の暗がり
手段は何でもよい 結果が確実でさえあれば


 「確実」。これこそがギリシアの神髄だろう。
 「集中力」が、あらゆる「確実」を生み出す。

 ふと、ギリシア悲劇のカタルシスを思う。「犯罪」を肯定することはできないが。