31 光と闇
「考える人(考えつつ語る人)」が主役。彼は「夏の光の中で」考え、語り続けているのだが。
語り疲れると 屋内の闇に帰っていくが そこは
考える空間ではない 子供が泣き 女が喚く場所
考える人が考えることを止め 汗まみれで眠りこけ
目覚めて ふたたび 考える人に戻るための
この詩も理屈っぽいと私は感じる。「子供が泣き 女が喚く」は現実だが、ほかのことばには現実の実感がない。
高橋が「考える人」と一体になっていない。
客観的描写ということになるのかもしれないが、「傍観」とも見える。「考える人が考えることを止め 汗まみれで眠りこけ」には、肉体が感じられない。
西脇順三郎は「旅人かへらず」の冒頭の詩で「考へよ人生の旅人」と書いた後、突然、
ああかけすが鳴いてやかましい
という一行を書く。これは「かけす」の描写ではない。「状況」の説明でもない。「やかましい」と感じている「肉体」そのものの「実感」である。「肉体」という「事実」がことばになっている。
思考を破って、肉体(聴覚)が叫んでいる。
こういう対比(ぶつかりあい)がないと、思考は抽象に終わってしまう。