5 (太陽が真上にくると)(嵯峨信之を読む) | 詩はどこにあるか

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5 (太陽が真上にくると)

太陽が真上にくると
木の影が消えてしまう

 これは「真実」ではない。木には枝のひろがりがあるから、影は消えるのではなく小さくなる。
 しかし、この「消える」を「事実」だと錯覚する。
 太陽が傾いているときの影の大きさを知っているから、錯覚する。錯覚は、知っていることがあるからこそ起きる。
 だから、ここから静かな悲しみを感じてしまう。「消える」ということばが、悲しみを誘うのかもしれない。

話はそこですべて終わる

 二行を引き継いで、ことばは、こう動いている。「消える」から「終わる」へと動詞が変化する。
 光があふれる真昼なのに、冷たい悲しみがある。