2 雨(嵯峨信之を読む) | 詩はどこにあるか

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2 雨

ぼく自身を両断すると
針は時刻のどこを指しているか

 「両断する」がむずかしい。「切断する」ではない。「両方を切る」。
 次の行の「時刻」を手がかりに、「時間」を「両断する」と読んでみる。「過去」と「未来」を切り捨てる。「いま」は、どこを指している。
 「いま」は「いま」しか指していないのか。
 現実の暮らしを見つめなおすと、「いま」の真ん中で、私たちは「未来」を向いているか、「過去」を向いている。どちらかであると言えるかもしれない。
 嵯峨は自問している。自分自身はどちらを指向しているか。「指す」は「指向する」なのだ。
 「どこ」は「場所」をあらわすことばだが、嵯峨は「時」と「場」を同じようにとらえている。(これは『誤読』で指摘した。)

そとは呪いの土砂降りでぼくはついに目ざめない

 「そと」とは「いま」以外のところ。「未来」「過去」とも「土砂降り」。どこにも出て行くことができずに「いま」、「ここ」にいる。この閉ざされた状態を「目ざめない」という動詞で語っている。
 詩集のタイトルに従えば、「いま」は「閉ざされる日」ということになる。ここから「開かれる日」へ向けて、ことばは動き出すのか。