木村孝夫『夢の壺』のなかに「新人老人」ということばが出てきて、びっくりした。「老人になったら」という作品。
特別擁護老人施設に入るには
介護度の認定が三以上必要となる
施設不足だから
入居までの待機期間が長い
新人老人には気の遠くなる話だ
「新人」と「老人」は相いれないイメージがある。しかし、「一生懸命働いて/やっと老人の仲間入りをした」ばかりの老人は、たしかに「新人」かもしれない。
「新人」には、その「世界」が「新世界」に見える。「新人」とは「世界」を「新しく」とらえなおすひとのことである。
有料老人ホームはあるが高額だ
やむなく自宅介護をすることになるが
自宅内の事情は考慮されない
「保育園落ちた 日本死ね!」
ツイッターのこの一言が炎上して
主婦が団結していったが
「老人施設の待機期間が長い!」
この言葉は長い間見向きもされずに
切り捨てられてきた
「待機児童」ならぬ「待機老人」。何を待つのか。「入居」だけではない。「死」を待つのだ。「待機児童」にはまだ未来があるが、「待機老人」には未来がない。そして国は未来がない老人が死ぬのを、本人やその家族以上に待っている。死ねば国家負担が軽くなる。「待機児童」はやがて成長し、働き手になる。けれど「待機老人」は働き手にはならない。経済成長を支えない。だから、死ぬのを待っている。
自民党憲法改正草案の「前文」に、こう書いてある。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
美しいことばだ。だが美しいことばには「裏」がある。「経済活動を通じて国を成長させる」。これは「経済活動」できない人間は国民として認めないということにつながる。「経済活動」をしている間(働いている間)は国民として認めるが、働けなくなったら「やっかいもの」。安倍の「1億総活躍」は、そのことを明確に打ち出している。活躍できないひとを、どう守っていくかという視点が完全に欠落している。
木村の詩は、こう叫ぶ。
老人になったら
下流老人、漂流する老人、老人破産
などという言葉が待っていた
ことばは誰が用意したのか。ことばは、どこから生まれてきたのか。自民党憲法改正草案は先取り実施されている。下流老人、漂流する老人、老人破産も「1億総活躍」もみな「経済活動」を優先する「政策」が生み出したものである。
この老人世帯ほど
貧富の差が大きいのだ
これが政府の言う老後安心なのだ
いまこそ老人は怒らなければならない。若者以上に怒らなければならない。「18歳選挙権」は、この詩を読んだ後では、若者の声を政治に呼び込むというよりも、「若者向け政策」を打ち出し、若者の人気を得ることで老人を切り捨てる口実づくりのようにさえ見えてくる。
これからは若者対策を重視する。老人対策を切り捨てて若者対策に予算を回す。だから投票して、とささやく安倍の声が聞こえる。
「待機児童の解消」「給付金型奨学金の充実」など、若者に未来を支えるための政策を充実させる。誰もが働ける環境にする。そのためには、「老人対策」はあとまわし。「経済活動」ができない人間の面倒まで見ていられない。「年金の給付開始を70歳にま延長する」というのも働けるだけ働かせる、ということだろう。それまで、どれだけ働いてき方は無視するということだろう。
「老後破産」
何とも嫌な言葉だ
老人になるのをもう少し待てばよかった
最後の一行に笑ってしまうが、だれも「待つ」ことができないのが老人になることだ。もう少し待って、それで安倍政治が変わるわけではない。
「保育園落ちた 日本死ね!」ではなく、「特別擁護老人施設落ちた 日本死ね!」が今年の「流行語大賞」になるといい。「流行語大賞」になるくらい、国会で問題してほしい。
長い詩なので一部しか引用できなかった。詩集でぜひ読んでほしい。「新人老人には気の遠くなる話だ」「老人になるのをもう少し待てばよかった」など、思わず笑ってしまうことばもあるこの詩、口コミで広がり、社会を動かす力になると楽しい。
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