長谷川龍生「老後、触れた水路」 | 詩はどこにあるか

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長谷川龍生「老後、触れた水路」(「現代詩手帖」2017年01月号)

 長谷川龍生「老後、触れた水路」は「老後」ということばをタイトルに持つ。詩の中には「死」も登場する。だが、ことばに強い響きが満ちている。

川の近郊にザブラジェという名の町で
アンドレイ・タルコフスキーが
一九三二年四月四日に生まれたことを知った

 「川」とは「ヴォルガの舟唄」のヴォルガ。「ヴォルガの舟唄」は長谷川にとってはなじみの唄。ときどき口ずさんでいる。その「記憶」にあるものに、突然、タルコフスキーが結びついてくる。「一九三二年四月四日に生まれたことを知った」という新しい「事実」が加わる。
 「新しさ」が長谷川のことばを活気づかせる。
 この「新しさ」は動きが急だ。

一九八六年十二月二十九日夜 パリにて
タルコフスキーは肺癌で急に亡くなった
蒼ざめた馬に乗って去っていく

 生まれたと思ったら、もう死んでしまう。それでもことばに勢いがある。なぜか。

彼は 映画芸術の一山をこえ
さっさと去っていく
七、八本を腰に巻いて去って行った

それ以外は 何も知らない 知らないが
どこかの試写室で制作の流れに
ふと 触れたことがある

 「触れたことがある」は「感じたことがある/肉体で知ったことがある」というくらいの「意味」だろう。映画のタイトルを書いていないが、タルコフスキーの映画の原点(源流)を感じたということだろう。「流れ」ということばがここに登場するのは、「ヴォルガ」と「川の近郊の街・ザブラジェ」が関係しているだろう。
 生まれ育った場所。そこには当然「少年」のタルコフスキー(人間の原点としての「少年」)がいるはずである。
 確実に把握しているわけではないが、その「少年」に長谷川は触れた。
 だから、詩は、こうつづく。

時代と場所 彼の少年の頃を知りたい
イメージは 永久に消えていなかった
戦争が勃発したからだ 戦時の体験
先取りも先取り 少年時代の運命を
深く映して 最後まで持ちこたえる

監督の仕事について 頭脳が冴えた
素材力の良さ 運命を切りひらく--
人生体験も 体験身をひらく

水路に触れた なめるような希求一筋--

 長谷川のことを私は詳しくは知らないが、たぶんタルコフスキーと同年代なのだろう。タルコフスキーの体験した「戦争」と長谷川の体験した「戦争」は同じではないだろうけれど、どこかで通じる。タルコフスキーに「戦争」の体験を「イメージ」の共有として感じたのかもしれない。だからタルコフスキーの少年の頃を知りたいと思う。
 タルコフスキーの少年の頃を知るとは、長谷川自身の少年の頃を知ることでもある。もちろん長谷川は自分自身の「少年の頃」を知っている。しかし、他人の「少年の頃」を知ることで自分自身が見落としてきた(無意識の奥にしまいこんでいる)何かを知ることがある。
 長谷川は、そういう「予感」のようなものを強く感じたに違いない。
 「知った」ではなく「触れた」。「触れて感じた」に違いない。
 「一九三二年四月四日に生まれたことを知った」「それ以外は 何も知らない」「知らないが/触れたことがある」。
 「知る」と「触れる」を長谷川は明確につかいわけている。
 「触れる」は「知る」よりも強い。「知る」は「知識」だが「触れる」は「知識」になる前の「肉体の感覚」。「肉体」そのものだからである。「肉体」を長谷川は、いま、新しく生み出している。新しい長谷川の「肉体」がいま生まれている。「誕生」の強さが、詩のことばを動かしている。
 「具体的」には、わからない。「具体的」には書かれていない。これはしかし、あたりまえのことなのだ。「知識」ではなく「肉体」が感じている「ことば以前」のことだからである。流通言語では、具体的には書けない。
 戦争を体験することで「先取り」して見てしまった何か。それを長谷川はタルコフスキーの映画に感じ、いま、長谷川自身の体験と「肉体」を開いていこうとしている。その勢いが「死」を乗り越えている。 「老い」を忘れさせる力となっている。





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