今井好子「熟成」 | 詩はどこにあるか

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今井好子「熟成」(「橄欖」104 、2016年11月25日発行)

 私は「誤読」が好きである。もしかすると違うことが書いてあるのかもしれない。けれど、こんなふうに読んでみたい。そう思って読む。
 今井好子「熟成」。

墨をする
夢の際で目が覚めてしまった夜は

墨をする
明けない夜のように黒々と
墨は闇を深めていく

 これは目が覚めたので、起きて、実際に墨をすっているということなのかもしれないが。私は「夢の際」へ帰っていく夢だと思って読む。夢を頼りにもう一度眠ろうとしているのだと思って読む。無意識に見る夢ではなく、意識的に見る夢。墨をすることを意識的に思い描いている。
 まだ夜明けにしない。闇を深めて、闇にもどっていく。眠りに。

墨をする
獣たちの均整が崩れ始める
眠っていた時間が
夜の静寂を裂いて
息を吹き返す
解放されて

 「獣たちの均整が崩れ始める」ということばには「注釈」が必要である。「墨…煤を香料と膠で固めたもの。膠の材料は動物の骨、皮、腱など。」と今井は書いている。注釈をつけるのは「意識」。
 墨をすると「眠っていた」もの、動物の骨、皮、腱が「目覚め」、動き始める。墨をすることで、「眠っていた」動物を蘇らせる。
 これは「眠っていた」今井を、夢の中で「解放する」、蘇らせるということ。夢のなかへと「息を吹き返」したいという欲望が見える。
 半分意識、半分無意識。「夢の際」での動き。
 起きて、実際に墨をすっているのではない。

文字に起こせば
寂しいかけらとなって
夜のざらついた隙間に
まぎれ込んでしまうだろう

艶やかに
とろりとこぼれる墨が
夜の裏側を濃くしていく

 「文字に起こせば」(ことばにしてしまえば)、夢現は破片になってしまう。(詩にしているのだけれど……。)そう思いながら、揺れつづけている。
 「寂しい」「ざらついた」は「現」に属する意識。「艶やか」「とろり」は「夢」に帰り着いた意識。眠りの豊かさがある。

 三連目の「夜の静寂を裂いて」という一行は、ない方が全体が強くなると思う。墨のなかから獣たちが蘇るスピードがしなやかになる。
 途中に省略した連にタイトルの「熟成」ということばが出てくる。文字に起こされたことばは「寂しいかけら」というよりも「虚無/意味のかけら」に思える。省略して引用した。

佐藤君に会った日は
今井 好子
ミッドナイト・プレス