自民党憲法改正草案を読む/番外41(情報の読み方)
2016年11月15日の読売新聞(西部版・14版)13面に、天皇の「生前退位」(読売新聞は15日付朝刊から「退位」と表現している)有識者会議の「ヒアリング」の概要が掲載されている。
6人の発言者のなかで、私が注目したのは渡部昇一(上智大名誉教授)と桜井よしこ(ジャーナリスト)の発言である。
渡部の発言には「退位せずに摂政で対応」という見出しがついている。
天皇陛下が(8月に発表したビデオメッセージで)摂政は好ましくないとおっしゃったのは、最後まで国民の目に見えるところで象徴天皇の仕事をしたいということだろう。ありがたいが、宮中で国と国民のためにお祈りくだされば、天皇の仕事は本質的に十分なさったことになる。
天皇の身体は宮中にあっても、国民のために祈ることが最も大切なことである。(略) 天皇と摂政が併存しても天皇はそのままお祈りをつづけており、元号も変わらない。どちらが「象徴」なのかという問題は生じない。(退位ではなく摂政の設置で対応することは)混乱の多い世界で日本の安定性を示すことにつながり、国威の宣揚にもなる。
桜井の発言には「譲位は皇室の安定を崩す恐れ」という見出しがついている。
天皇の役割は、国家、国民のために祭祀を執り行って、祈ってくださることだ。いてくださるだけでありがたい。その余のことを天皇であるための要件とする必要も理由もない。(略)譲位でなく摂政を置かれるべきだ。
私が注目したのは「祈り」ということばである。
「宮中で国と国民のためにお祈りくだされば、天皇の仕事は本質的に十分なさったことになる。」(渡部)「天皇の役割は、国家、国民のために祭祀を執り行って、祈ってくださることだ。」(桜井)と、ほとんど同一のことを言っている。
前回の平川祐弘(東大名誉教授)の発言に似たところがある。
「天皇陛下ご苦労さま」という国民の大衆感情が天皇の退位に直結してよいのか。民族の象徴であることは、祈ることにより祖先と続くからだ。
今の天皇陛下が各地で国民や国民の思いに触れる努力はありがたいが、ご自身が拡大された役割だ。次の皇位継承者にも引き継がせたい意向に見受けられ、個人的解釈による天皇の役割を次の天皇に課すことになる。
「祈り」だけが「象徴」のつとめである。「祈り」は「先祖へとつづく」というのが、平川の主張。国民とのふれあいは「象徴」のつとめではない。
天皇が大切にしている「国民とのふれあい」を、平川は「拡大解釈」ととらえ批判していた。「国民とのふれあい」の「禁止」(廃止)を訴えているとも言える。
これを渡部は「宮中で」ということばで言いなおしている。天皇を「宮中」に閉じ込めようとしている。桜井はそこまでは言わないが「いてくださるだけでありがたい」という形で、国民との接触を遠ざけている。
ここに私は注目した。この部分を私は「誤読」し「妄想」する。。
天皇は大災害が起きると被災者のもとにかけつける。ふれあう。それは天皇にとっては、たぶん「国民とともに、国民の安全を祈る」ということなのだと思う。「祈り」は「祈り」を必要とする人の隣にいて、いっしょに「祈る」ときに、「祈り」がつたわる。
戦没者追悼式なども同じだろう。国民のいるところで、国民といっしょに「祈る」。天皇の基本姿勢である。思想である。別な場所、国民から離れた場所での「祈り」ではだめであるというのが天皇の「思想/人柄」である。
平川、渡部、桜井は、「国民といっしょ」という天皇の「あり方(人柄)」を否定している。国民と切り離し、「宮中」に閉じ込める。「人柄」の否定は「神格化」とも言えるが、一種の「隔離」でもある。「隔離」した場所で「祈り」に専念させる。その「祈り」は国民には見えない。「神格化された存在/神」であるから見える必要はないということかもしれない。
この三人に共通するのは、もうひとつ。「摂政の設置」。これは、天皇の「負担を軽くする」という「名目」で提言されているが、私は別な見方をする。三人は「摂政」の設置で、国民と天皇の分断を狙っている。
図式化すると。
天皇-摂政-国民
ここに「連続」と「分断」がある。図式は、次のように言い換えることができる。
天皇-宮中-国民
このことは、今回の渡部の発言ではっきりした。天皇と国民を触れさせないというのが、安倍の狙いなのだ。
天皇が「生前退位」の思いを国民に直接語りかける前に、官邸(安倍側)と宮内庁(天皇側)で水面下の折衝がおこなわれていたことはすでに報道されている。官邸が「摂政の設置」を持ちかけ、天皇が拒んだ。天皇は、摂政によって天皇と国民との直接的ふれあいがなくなると感じたから拒んだのだろう。
「摂政」は、どのように行動するのだろうか。
現行憲法には、天皇の「行為」について、こう規定している。
第三条
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
自民党の憲法改正草案では、こうである。
第六条の十項の4
天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。
たぶん、これに準じることになる。現行憲法では「内閣の助言と承認」であったものが、改正草案では「内閣の進言」にかわっている。
「進言」は「助言」よりも、「こうしなさい」という指示が強いと私には感じられる。「指示」を含んでいるからこそ「承認」は必要としない。承認していないことは「指示」できない。
私はここから、安倍は「摂政」を置くことで、「摂政」への「指示(進言)」強める。つまり「支配」することを狙っていると「妄想」する。
天皇を国民と分断し、「摂政」を通じて、実質的に国民を支配する。
このとき「象徴」は、どうなるのか。「象徴」のつとめはどうなるのか。ないがしろにされる。二の次になる。
これは現行憲法と自民党の改正草案を比較するとわかる。
(現行憲法)
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
(改正草案)
天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
改正草案では、天皇は「象徴」である前に「元首」である。その「元首」の代理(?)として「摂政」がある。その「摂政」に内閣は「進言する(指示する)」。このとき天皇は名目上は「元首」であるが、実行力はない。お飾りである。
「元首」である天皇を「祈り」に専念させ、「象徴」としてもちあげ(お飾りにし)、「内閣」が「摂政」を通じて「国事」をおこなう。「内閣」が「国事」を指示する。
私の「妄想」では、日本はそういうふうに変わっていく。「有識者会議」は、そういう道筋を「安倍の独断」ではないと否定するための「アリバイ」づくりに見える。
*
『詩人が読み解く自民憲法案の大事なポイント』(ポエムピース)発売中。
このブログで連載した「自民党憲法改正草案を読む」をまとめたものです。
https://www.amazon.co.jp/%E8%A9%A9%E4%BA%BA%E3%81%8C%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A%E6%86%B2%E6%B3%95%E6%A1%88%E3%81%AE%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E3%81%AA%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95-%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A%E6%86%B2%E6%B3%95%E6%94%B9%E6%AD%A3%E6%A1%88-%E5%85%A8%E6%96%87%E6%8E%B2%E8%BC%89-%E8%B0%B7%E5%86%85%E4%BF%AE%E4%B8%89/dp/4908827044/ref=aag_m_pw_dp?ie=UTF8&m=A1JPV7VWIJAPVZ
https://www.amazon.co.jp/gp/aag/main/ref=olp_merch_name_1?ie=UTF8&asin=4908827044&isAmazonFulfilled=1&seller=A1JPV7VWIJAPVZ