八木幹夫「葛の花」の一、二連目。
夏の川岸に
全身 はだかで
立っていた
さっき
赤紫のくずの花を
むしり取った
つる草の匂いが
あたりにひろがり
藪蚊が数匹
周辺に飛び交っている
数千年前にも
ここにこうして立っていた
二連目の「赤紫のくずの花を/むしり取った/つる草の匂いが/あたりにひろがり」がとても強い。
こういうこと、したことあります?
くずの花でなくてもいいのだけれど、野の草をむしり取る。なぜ、むしり取るのか。よくわからない。たぶん、自分の肉体のなかにある力が暴走するのである。むしり取ってみたいのである。むしり取る力があることを確かめたいというのではない。ただ、発散したい。
そのあと。
思いもかけず、ぱーっと匂いが広がる。いままでそこに存在しなかった匂いが広がる。あ、草の匂い。そのとき、あ、草も生きていたんだとわかる。
その「わかる」と「ひろがる」が、何と言えばいいのか、「ひとつ」のこと。
草の匂いが「ひろがった」のか、自分自身の何かが「ひろがった」のか。わからない。自分の知らなかったことが、ぱっーと「切り開かれ/ひろがり/わかる」。「視野が広がる」ことを「わかる」と言うときがあるが、その「ひろがる/わかる」の融合の一瞬。
そういうことを思い出す。
この感覚と、一連目の「はだか」が通い合う。
「ひろがる/わかる」は「はだか」になることだ。
私は知らず知らずに何かを着込んでいる。「はだか」ではない。それが八木のことばに出会って、あ、そうだった、そういうことがあった、と思い出す。肉体が、その感覚をおぼえている。そう感じたとき、私はたしかに「はだか」になっている。
八木が夏の川岸でほんとうに「はだか」でいるのかどうか、わからない。きっと八木自身も、草の匂いがひろがった瞬間に、昔、夏の川岸で「はだか」で立っていたことを思い出したのだろう。
この「はだか」の感覚、「昔」の感覚は、どこまで「昔」だろう。五十年前? いや、それを通り越して「数千年前」。きっと、人間は大昔から、わけもわからず草をむしり取り、そのとき草の匂いがぱーっとひろがって自分をつつむのを感じただろう。これは「時間」を超えた、「永遠」の感覚なのだ。
そのなかで「立っている」。
「立つ」しか、ないのである。
「立つ」とどうなるか。視界が「ひろがる」。座っているときよりも、遠くが見える。「遠く」というのは人間を、そこへ誘う。「そこ」がどこであるかわからないけれど、「そこ」があるということが人間を誘う。
三連目を省略して、四連目。
太陽が皮膚を灼き
一瞬 涼しい風が
首筋をよこぎる
先を行く
父さんに追い付くために
つる草の茂る
藪をかきわけ
母さんも
少し足早になる
遠く
火山に噴煙があがる
「立つ」とひとは「歩く」。ただ、そういうことが書かれている。
「太陽が皮膚を灼き/一瞬 涼しい風が」には「熱い(灼熱)」と「涼しい」という矛盾したことばがぶつかっているが、これは「熱い」からこそ「涼しい」が「わかる」ということ。その衝突によって世界が「ひろがる」ということ。
ここにこうして「立っている」こともできる。けれど人間は「歩く」。「立つ」ことを放棄して「動く」。そのとき何かが「ひろがる」。何かが「わかる」。
「先を行く」父さんは、先頭であって、先頭ではない。父さんの前には、さらに「先」がある。きっと誰かが「先」を歩いている。そしてそれは、たぶん高村光太郎が言うように「僕の後ろに道はできる」ではなく「僕の前に道はできる」なのである。「先」なんて見えない。見えるけれど、どこが「先」なんて、わからない。進む方向が「先」であるだけだ。それを「ひろげる」ようにして進む。「歩く」と決めたとき、その前に道はできるのだろう。
「父さんに追い付く」というのは、離されないためではない。いっしょに「前/先」を見るためである。「先」をひろげるためである。「いっしょに」という気持ちが「足早」を誘うのだ。
夏の、全身裸の子どもになって、八木はその感覚を思い出している。生きている。
この詩には「注釈」があって、その「注釈」を読むと「数千年前」(さらには省略した三連目に書いてある「三百六十万年前」)の「意味」が明確になるのだが、私は「注釈」よりも、そこに書かれている「肉体」の感覚の方を信じるので、あえてその部分は省略した。書かれている「こと」を知りたいのではなく、そのことばを書いた「肉体/思想」を私は「わかりたい」。自分の「肉体」で体験したい。八木の「注釈」に書いてあることを私は体験できない。思い出せない。しかし、それ以外の部分なら自分の「肉体」ではっきりと思い出すことができる。そうなのだと納得できる。
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