加藤典洋「「空気名投げ」のような教え 鶴見俊輔さんを悼む」 | 詩はどこにあるか

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加藤典洋「「空気名投げ」のような教え 鶴見俊輔さんを悼む」(毎日新聞、2015年07月28日夕刊)

 加藤典洋「「空気名投げ」のような教え 鶴見俊輔さんを悼む」の三段落目の文に、私は思わず涙がこぼれそうになった。

 鶴見さんには、三十㌢のものさしをもらった、と私は思っている。三十㌢のものさしがあれば、人は自分と世界のあいだの距離を測ることもできるし、地球と月のあいだの距離だって計測できる。行こうと思えば、月にも行けるのだ。

 私は鶴見俊輔の文章をそんなに多く読んでいるわけではない。ほとんど読んでいないといっていい。加藤典洋についていえば、私は、今回読むのが初めてだ。
 なぜこの文章に涙が出そうになったかというと、私が鶴見俊輔の文章から学んだことが、そのまま書かれていたからだ。
 加藤がどういう「意味」で「三十㌢のものさし」という「比喩」を書いたのかわからないが、私の考える「三十㌢のものさし」の「意味」は、「自分から離れないこと」である。「自分の手に触れているもの」を頼りにすることである。
 何かの「距離」を測るとき「三十㌢のものさし」では不便なことがある。自分の家と会社までの距離にしても「三十㌢のものさし」で測るとなるとたいへんである。何度も何度も印をつけないといけない。二キロを測れる紐状のものさしがあれば一回で測れるかもしれないが、「三十㌢のものさし」で印をつけながら数えていく(足し算をする)のでは、きっと間違える。まっすぐに測れずに「誤差」も大きくなる。正確に測れたかどうか知るためには、何度も何度も測って比較しないといけない。
 「誤差」が大きくならないようにするにはどうすればいいのか。たとえば長い紐を見つけてくる。紐の長さを「三十㌢のものさし」×10の長さ、つまり三㍍にする。それを利用すると「三十㌢のものさし」をつかったときよりは、早くて正確になる。さらに三十㍍の紐、三百㍍の紐という具合に工夫することもできる。「三十㌢のものさし」で三百㍍の紐を正確に測るのはなかなかむずかしいができないことではない。根気よくやれば、必ずできる。
 しかし、逆は、そういうことはできない。たとえば「二キロのものさし」があったと仮定して、それで机の大きさを測ることはできない。いや二キロのひもを見つけ出してきて、それを半分に、さらに半分に、また半分にと折ってゆき、小さな単位にして、それを利用すればいいといえるかもしれない。でも、最初に「二キロのものさし」をそのまま置くことができる「場所」の確保がむずかしい。
 大きい単位の物差しは大きいものを測るには都合がいいが、それで小さいものを測ることはできない。小さい単位のものさしは大きいものを測るには不便だが、測れないことはない。
 自分がいつもつかっているものをつかって、ものごとにどう向き合っていくか。それを工夫するのはおもしろい。面倒くさいけれど、楽しい。自分のつかっていない道具をつかってものごとと向き合うのは、まあ、楽なときもあるかもしれないが、楽は楽しいとは限らない。楽をすると、自分を見失ってしまうだけである。

 ものとものとの距離ではなく、ひととひととの間(ま)を測る、あるいは関係を築くときは、なおさらそういうことが大切になる。大きい観念(概念)ではなく、いつもつかっていることばで会話しながら近づいていく。触れあう。
 自分のものではないことば(世界のとらえ方、ものさし)はつかわない。

 私は詩の感想や映画の感想を書いている。小説の感想もときどき書いている。文章を書くとき、自分のことばではないことば(流通している「外国の思想のことば」)を借りてきて書くと、書きたいことが楽に書けることがある。私が考えようとして考えられないことを、その流行のことばが代弁してくれる。自分で考えた以上のことを語ってくれる。見た目もなんとなくかっこいい文章になる。
 でも、身の回りにある(三十㌢の範囲にある)ことば、体験したことば、肉体で掴み取ることのできることばで書こうとすると、だらだらと、まだるっこしいものになる。間違いもする。書きたいと思っていたことが、どんどん遠くなり、違ったことを書いてしまったりする。
 でも、それが楽しい。書きながら、あ、私はまたここでつまずくのかと思いながら、こりもせずに倒れてしまう。倒れると痛い。痛いけれど、なんとなく安心する。また大地が受け止めてくれた、という感じかな。そこから立ち上がって、引き返し、またこつこつと「三十㌢のものさし」でことばを積み重ねていく。
 たどりつけなくてもいい。歩きつづけることができればいい。知らないあいだに曲がってしまい、もとに戻ってきたっていい。




言い残しておくこと
鶴見俊輔
作品社