斉藤倫「カラダはそれを理解できない」は、途中までがとてもおもしろい。
心臓はいった
だれかのために働いている
それがだれかわからなくても
肝臓はいった
いざというとき勇気を出すこと
それがわたしの責任さ
この書き出しは「内臓」の一般的に語られるありかたのように思える。
「内臓」と「肉体」との関係。心臓は勝手に動いている。いや、意思では動かせない筋肉で動いていて、肉体を支えている。心臓のために働いているのではなく、ほかの内臓のために、あるいは肉体全体のために働いている、というようなことを思う。
肝臓は、また異物が体内に入ってきたときそれを分解する。「いざというとき」がんばる。そんなことを思ったりする。
唇はいった
黙っているときに
わたしは現れる
あ、これは美しいなあ。それまで「抽象的」だったものが、ここで突然「視覚的(感覚的)」になる。「意識」を通さないいと見えなかったものが、ここでは「意識」を突き破って、「肉体」に直接響いてくる。
で、そのあとが傑作。
ふくらはぎはいった
ときどき蚊に刺されると
すねのほうにいってくれっておもうよ
足の裏はいった
雨の日に厚い靴の底で
タバコの吸い殻をふむと
すごくむにゅっとする
笑ってしまう。肉体が動いて、現実とぶつかっている。心臓や肝臓がいっていることも現実には違いなのだろうけれど、どこか「頭」で理解していることであって、「ふーん」という感じがする。
しかしふくらはぎと足の裏の言っていることは「頭」を経由しないで共感できる。「わかる、わかる」という感じ。
ふくらはぎじゃなくてすねが蚊に刺されたら刺されたで、すねはふくらはぎの方を刺してくれよと思うかもしれないけれど、この「いいかげんさ」が肉体にぴったりだなあ。自己中心的。自己中心的といいながら、肉体には変なところがある。自分の肉体なのに、自分ではどうすることもできない。どうすることもできないけれど、どうしなくても、生きてしまっている。そういう「手触り」のようなものが、「あっちを刺せよ」という身勝手(?)な意識の噴出から、直接、つたわってくる。
タバコの吸い殻を踏んだときの「すごくむにゅっとするな」の「むにゅっとする」となまなましいなあ。「むにゅっ」は何と言い換えていいのかわからない。「そうか、あれは『むにゅっ』なのか」と思い出すのである。「むにゅっ」が私の肉体のなかから、斉藤のことばにひっぱり出されて、もう一度肉体そのものになる感じ。
そういえば、ふくらはぎが蚊に刺されてすねのほうを刺せよと思うときの感じも、私の肉体のなかにある何かがひっぱり出されているなあ。蚊に刺された記憶。ここじゃなくて、あっち、というより、自分じゃなくて隣のひとを刺せよと思ったときのこととか。
ことばは、こんなふうに、肉体がおぼえていることをひっぱり出して、肉体そのものを新しくするとき、詩として感じられるものなのだろう。
知っている、おぼえている。けれど自分ではことばにできなかった。それが他人のことば(斉藤のことば)に導かれて、知っていると思っていたこと、おぼえていたことが、実感できる。この実感は共感でもある。斉藤は斉藤の肉体のことを書いているのに、読んだ瞬間、それが斉藤の肉体の体験であることを忘れてしまって、まるで自分の体験として思い出してしまう。これが共感。
私はこの共感をセックスとも呼ぶのだけれど。
共感のなかで、自分の肉体と他人の肉体(斉藤の肉体)の区別がなくなり、自分自身の外へ出てしまう。エクスタシー。自分の肉体がおぼえていること(自分の肉体のなかにあること)を思い出すのに、その思い出したもの(肉体のなかにあるもの)は、自分を突き破って、新しく生まれた私となる。
でも、私は、ここまでしか「共感」できない。
詩はこのあと
カラダは自殺を理解できない
という行を境にして、違ったものになってしまう。タイトルの「それ」は「自殺」と言い直され、理屈ぽくなる。
きっと「理解」ということばも影響しているだろうなあ。
「理解」というのは「頭」でするもの。「肉体(斉藤はカラダと書いているのだが……)」は「理解」なんかしない。「肉体」は「理解できない(わからない)」ままでもかまわないものなのだ。斉藤の書いている「心臓」は三行目で「わからなくても」ということばをつかっているが、「わからなくても」かまわない。そこに存在していることがすべてなのだから「理解する」必要はない。「頭」なんかの言い分は関係がない。
「肉体」はただ「共感」するのものなのだと思う。
こんな勝手な感想では、斉藤の詩を読んだことにならないのだろうけれど、私は斉藤を「理解」したいわけではない。「理解」なんかしたくない。「理解」したら、めんどうくさくなる。勝手に、ここが好き、ここがおもしろい。あとはわからない、という具合にすませてしまうのである。
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