129 人間
大きな石の円蓋の下から
ようやく手を出し足を出したりする
いつかそのまま手も足も出さなくなる
ぼうぼうと炎えあがる骨の唄よ
「骨」ということばがあるためだろうか、「墓場」を連想した。墓石の下で眠る霊。それが手を出す足を出すというのは、霊が出てくること。ひとが、亡くなったひとを思い出すこと。しかしやがて忘れられる。
そうしたことを書いた後、詩は、複雑な動きをする。
胎内いつぱいにひろがつている
うす桃いろの宇宙のどこかで
竹藪の向うのどこか薄れ日のさしている小さな村で
「胎内」ということばが「誕生」を連想させる。墓(骨)とは相いれない。
「胎内」を「宇宙」にたとえるのは、そんなに不思議ではない。いのちを生み出す宇宙のような「胎内」。生命の神秘に宇宙の神秘が重なる。人間の生き死にの不思議が重なる。
これを嵯峨は「小さな村」に引き戻して見つめている。詩の最後に「紀伊御霊村で」という注釈がついている。その小さな村の、小さな墓場で、ひとの生き死にの繰り返しを実感したということだろうか。
「骨」ということばの直後に、「胎内」ということばが結びつけられ、死と生/生と死の循環が、判然としないまま動いている。嵯峨は人間は、生と死を繰り返す存在だと認識していたのか。
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