91 死の海
「死海」からヒントを得て書いたのか。塩分濃度が高く、人間のからだが浮いてしまうという海。
死の近くの海は
たれも見たものがない
海は途方もなく暗く深い
その海水の一滴一滴はひとをただちに盲目にするほど塩辛い
ぼくらはその海水を頒ち持つていて
朝夕 垂直の背骨をそれで磨き立てる
「海水(塩分の強い水)」を「頒ち持つ」とは「涙」をさして、そう言っているのだろう。「涙」ということばが思い浮かぶのは、その直前に「盲目」ということばがあり、また二行目に「見る」という動詞があるためかもしれない。「目」がことばのなかを動いているために「涙」を連想してしまう。
「塩辛い」の「辛(から)い」は「辛(つら)い」でもある。つらいとき、ひとは涙を流す。その涙が「垂直の背骨を磨き立てる」。つらさ、苦労がひとを育てると読むと、人生訓のようでもある。
強く逞ましくなつたその背骨が
すべてを焼きつくす太陽
すべてを吹きとばす大風にむかつて
ぼくらを荒野にひとり立たせるのだ
これは人生訓の繰り返しになる。
しかし、その次の行はどうだろう。
そして最後に死がやつてきたときぼくらは静かに海の中にはいることができる
人生訓を超えている。あるいは、ずれている、というべきなのか。人生ではなく、人生を通り越して、死と対面している感じがする。「こんなふうにして生きなさい(つらくても我慢していきなさい、そうすれば背筋ののびたまっすぐな人間になれる」というような「声」はこの一行からは聞こえてこない。
さらに最後の三行。
深夜
野のはてに
燐光を放ちながら背骨はするどく直立する
死に向き合い、「直立する」嵯峨が見える。死は、嵯峨をまっすぐにするものの象徴なのだと思う。死を意識しながら「直立する」。このときの「直立」は「孤立」かもしれない。少なくとも「孤立」を恐れずに、嵯峨は立っている。ことばを、詩を書いている、と感じる。
死と向き合った生、死と生は「対」になっている。
「対」の意識はこれまで読んできた作品の中にあらわれていたが、次の作品にも「対」がある。
(次の作品からは「多嶋海」という章。)
92 多嶋海
それは何かのまちがいかも知れない
沈黙でしやべつているひろい海
「沈黙」と「しやべつている(しゃべる)」が「対」。「沈黙」が「しゃべる」というのは矛盾である。矛盾だから「まちがい」とも言える。しかし、嵯峨は「かも知れない」というだけで、断定はしていない。
「矛盾(まちがい)」としてしか言い表すことのできなことがあるのだ。
「沈黙でしやべつている」。その場に立ち合うと「沈黙」がうるさく感じられるだろう。「沈黙」が煩すぎて、何も聞こえない。
なにもかももうとつくに過ぎ去つているのに
すべてはいま始まつたばかりのようだ
「過ぎ去つた(終わった)」と「始まつた」が「対」になっている。
「対」はその接点に注目すれば「矛盾/衝突」(まちがい)になるが、「対」は必ずしも接しているとはかぎらない。「対」その存在、二つの存在のあいだに「間」がある、巨大な隔たりがあることもある。
「生」と「死」という「対」のあいだには、広いのか狭いのかわからない。接していてるのか離れているのかわからない。
遠く離れて存在していると思う「対」も、同じように、接している/離れていると「方便」で言うだけのことであって、実際にどんな「間(ま)」がそこにあるのかは、たいていはわからない。
そのわからない「間」をことばで埋めて、そのことばで何かを「実感」させるのが詩なのだろう。「対」(二つの存在の組み合わせ)が詩であるというよりも、離れた存在(二つ)の「間(ま)」のなかを動くことばが詩なのだろう。
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