破棄されたの詩「ポルトについて」のための注釈(33) | 詩はどこにあるか

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破棄されたの詩「ポルトについて」のための注釈(33)

「折り畳み椅子」にも故郷はあっただろうか。川に向かって石段を下りていったとき、曲がり角の土産物屋の前で老人が座っていた。通りすぎるときに目が合って「おまえの故郷はどこか」と聞いてきた。立ち止まると「この折り畳み椅子にも故郷はある。おまえにもあるだろう」とつづけた。ポルトガル語はわからないが、なまったスペイン語くらいの気持ちで聞き返した。「そうすると、この折り畳み椅子には兄弟や姉か妹もいたのかい。」「ああ、だれかが産んだことには間違いがない。産んでくれなければ、この世には存在しない。」

聴き間違いがなければ、老人はそう言った。耳の穴の周りに毛がいっぱい生えていたので、私のことばはとどいたかどうかわからない。老人は私を椅子に座らせ、それからコップにポルトワインを注いでくれた。その味がきのうの夜「たばこを吸う犬」というレストランで飲んだワインに似ていると言おうとした。すると「おまえの折り畳み椅子は犬を飼っていたことがあるのかい。」と問いかけてきた。「あ、いつも折り畳み椅子を広げるのを待って、その下にもぐりこんで寝ている。」知らない国のことばなので間違っているかもしれないが、そんな会話をした。家で留守番をしている犬を思い出して、なつかしくなった。

旅から旅へ動いていくとき、「故郷のように安心して休める場所はどこにあるか。自分の折り畳み椅子をもっていると、とてもいいものだ。」ホテルにかえって、ゆっくり辞書を引きながら会話を思い出すと、そういうことを言ったようだ。あのあと、老人はもう一杯ワインを注ぐと店の奥へ引っ込んでしまった。細い階段を太陽の光が白く照らしている。どこかで水道の水を流し、ふたたび止める音がする。階段を下りてきた犬が、「おまえはだれだ、いつもと違う人間がいる」という目で見つめていたなあ。



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