嵯峨信之を読む(42) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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80 空に鳴る蝉車

 井戸から水を汲み上げる。多くの人が集まってきて、水を汲み上げては、その場に流す、という姿を描いている。一種の無意味な行為。

たえず井戸水を汲みあげながら たえずその場に水を流している
蝉車はひつきりなしにキイキイと鳴りつづける
水ははじめのうち私の足くびをなめ
しだいに膝を浸し 腹にまつわり とうとう胸までとどいた
水を汲みあげている大勢のひとが みな肩まで水に漬かつて
それでも水を汲みやめないので
ついに頭も水面下に消えてしまつた
水面下でもひとびとは忙(せわ)しく手を動かして 水を汲みあげている

 無意味であると同時に、理不尽、不可能なことをしている。汲み上げた水で、ひとが水に埋もれてしまう。ありえない。
 ありえないのだけれど、そういうことを「ことば」で考えることができる。「ことば」は、「日常」にはありえないことを描き出すことができる。
 嵯峨の「叙情詩」は美しく、「日向抒情歌」を読むと、嵯峨のふるさとをそのまま描いている(ふるさとで体験したことを書いている)と思ってしまう。「もの(風景)」があって、それを「ことば」で再現している、体験した感情が最初にあって、それ「ことば」で再現している、と思ってしまう。「ことば」はたしかに、「体験したこと/もの」をあらわすものなのかもしれないが、それだけが「ことば」の仕事ではない。
 体験したことを一度無へと解体し、そこからもう一度ことばだけで体験を再現し直す。そういうことばの純粋な運動にして、まだここにない何かをことばでつくり出し、それを考えるということもできる。この作品は、そういう詩である。
 井戸から水を汲み上げる。ここまでは「日常」としてありうる。その水をこぼす(捨てる)、ということもできる。そのあと、その水がどんどんたまってくる、というのは水を捨てる場所が狭い場合はおこりうる。広い場所でも、汲み上げ、捨てる水の量が多ければ、洪水のようにまわりが水浸しになるということはありうる。しかし、その水のかさが人をのみこむというのは「井戸」を想定すると現実には不可能かもしれない。けれど、「ことばの運動」そのものとしては考えることはできる。
 嵯峨は、ここでは「ことば」をつかって「考えている」。「想像している」。「思い」をつくり出しているのである。
 何を思い、どんな思想をつくり出そうとしているのか。

蝉車は空たかく登りキイキイ鳴りやまない
そして蝉車の鳴りきしる音は
はるかな空の彼方へだんだん遠ざかつた

 よくわからない。
 「蝉車」ということばを私は聞いたことがないが、釣瓶を釣り上げるための「滑車」をそう呼んでいるのだろう。釣瓶を引き上げるとき滑車がきしむ。音を立てる。高いところで鳴いている蝉のように……という思いが「蝉車」ということばになっているのかもしれない。
 この最後の三行は、それまでの詩のことばと違っている。それまでは「私」やまわりの人々を描いていたが、ここでは「蝉車」が描かれているが、人は描かれていない。あえていえば、「蝉車」の音が遠ざかるのを「聞いている」という動詞を補うことで、そこに「ひと(私)」を関係づけることができるが、そうしないかぎり、「ひと(私)」は存在しない。
 なぜ、嵯峨は、最後の三行で「ひと(私)」を省略してしまったのか。
 思い出すのは「蝉の歌ごえに乗つて」である。

そして空は遠のいたきりふたたび帰つて来ないだろう
それからぼくは蝉の歌ごえに乗つて
ついについに何処か遠いところへ行つてしまうだろう

 そこにも「蝉」が出てきた。その詩には「死」のイメージがつきまとっている。「蝉」は「死の彼方」へ飛んでいくように思える。その三行と、この詩の終わりの三行は重なり合う。「空」「遠ざかる」「蝉」ということばそのものも重なる。
 「空に鳴る蝉車」も「死」と結びつけて考えることができるかもしれない。
 人は死ぬ。死ぬために、あるいは死ぬまで、井戸から水を汲み上げて捨てるというような、何のためにしているのかはっきりとはわからないことをつづける、そういうふうに「人間」を、あるいは「生」というものを嵯峨は捉えているのかもしれない。
 嵯峨は「死」について、そして「生」について、「思い(思想/思念)」作ろうとしているのだと思う。
 「井戸」とは深いところにある水を地上に汲み上げるもの。詩人は「ことば」をつかって、詩人の肉体の奥にある「水(純粋な思念)」をこの世に汲み上げるひとのことを指しているかもしれない。その汲み上げた水をどんどん捨てる、捨てることで広げる。やがて、自分の「思念の水」に埋もれて死んでいく--そう嵯峨は考えているのかもしれない。そう考えるとき、「死」は絶望ではなく、生きてきた印、「生の到達点」になる。「到達」といっても、さらにその先があり、そこへ向けて「蝉」はさらに飛んで行く。「蝉」は詩人が汲み上げた「思念の水」が描き出す、「思念」そのものの可能性のことでもある。

81 碑銘

 「墓碑銘」のことか。ここにも「死」が動いている。

ぼくを解き放つはてに
終日(ひねもす)鴎が啼いている
冬の白い日が死の海を遠くまで照らしている
ときどき笹原の上を薄い雲のかげが通りすぎる
詩人ひとり葬るには
このようなしずかな砂浜がよい
たえず小さな波が斜めから走りよつて
たえず自らを自らの中に埋ずめつづける言葉の砂浜がよい

 「蝉」のかわりに「鴎」が登場している。
 そして、ここにはことばとしては直接的には書かれていないが「水」が存在している。「海」「波」ということばで。さらに、そこに「埋ずめる」という表現があるので、私はどうしても「空に鳴る蝉車」の、水に埋まってしまった「ひと」を思い出す。
 さらに、

たえず自らを自らの中に埋ずめつづける言葉

 とは、井戸から汲み上げつづけた水、水を汲み上げつづけるという運動を言いなおしたもののように感じる。
 二つの詩は、深いところで「同じ水脈」を生きていると感じる。
 さらに、「砂浜」から「漂流者」も思い出す。

そして時間も空間も人間もいないところで
魂をすつかり石で囲んで
その中から鳥か煙りのようにぼくを舞い上がらせよう

 「鳥」は「鴎」。そしてそれは「魂」の化身。
 海(水のひろがり)と空のひろがり。その間の陸地のひろがり。三つをつなぐ形で空の高みをめざす鳥(鴎=海の鳥/蝉=陸の鳥)。それは嵯峨のふるさとの「元風景」かもしれない。その風景をたよりに、嵯峨は、ことばで、「生」と「死」について考えつづけ、それを詩にしているのだろう。
 それも「たえず」である。「碑銘」の最後の二行に「たえず」は繰り返されている。そして「空に鳴る蝉車」でも「たえず井戸水を汲みあげながら たえずその場に水を流している」と「たえず」は繰り返される。「たえず」詩を書きつづける、詩にかかわりつづける--それが嵯峨の生き方なのだ。

                        (『愛と死の数え唄』、おわり)
嵯峨信之詩集 (1985年)
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青土社