「建物」は夕日が少しずつ去っていくグラウンドの隅にあった。立てかけた自転車の影が壁に斜めになって動いた。「建物」と呼ぶほどの大きさではないのだが、「建物の内部から」ということばを書きたくて「建物」ということばを選んだのだった。「建物の内部からはいくつかの繰り返される物音がした。そして建物の内部には消えることのない匂いがたまっていた。」
「建物」は人が見捨てた街の、最後の信号のある四つ角の右側にあった。扉のない階段があって、午後の日が差すと、そこに猫がうずくまる。猫がいるあいだはだれも階段をのぼらないが、いなくなると猫よりもひそやかな足が階段をのぼる。左手で壁をたどりながら歩くとき「世界が始まる。沈黙の合図のあと、世界が扉を開いて、むこうから近づいてくるみたいに。」
「建物」は、もうどこにもないのだが「四角い窓」が残っている。内側から外を眺めたことがあるならば、夜のなかから昼を眺めるように感じるに違いない。手摺りの高さに鉄橋があり、貨車が渡るとき、規則正しい音が川を渡ってくる。だれが住んでいたのか思い出そうと「振り返ると、怠惰なカーテンがつくりだす影の中で、どこにもないような青ざめた汗の輝きが揺れている。」
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