ことばを書く人の役割について、彼はこう語ったことがある。「起きたこと、体験したことを報告するのではなく、言語によって紙の上にひとつの運動を描き出すのだ。」彼の傍には、黒い犬が「前脚を立てて座っていた。」橋の上だった。
「黒い犬」は「旅行鞄」の比喩だった。「言語」という厳しい音を教えてくれた人は、彼と同一人物だったか、本の中の別の人だったか、記憶が散らばってしまってよくわからない。「前脚を立てて座っていた」という一文には、「立つ」と「座る」という矛盾した動詞が共存しているから、「旅行鞄」には「出発」と「帰還」の二つの意味があると読むべきである。
「鞄」という古い文字の中には「包む」という動詞が隠れている。「旅」という文字は「放す」という文字と似ている。「包む」と「放す」は矛盾している。その矛盾の間を行き来するものは何か。
「どこにも行かない」ことこそ「旅」の本質である。「橋の上」に立って、左岸から来たのか、右岸から来たのか、左岸へ行くのか、右岸へ行くのか、考えるのは寂しい。その橋まで流れてくる間に、川は何度月に照らされ、何度月を映したか。「照らす」と「映す」は反対の運動ではないが「水面」の上で共存し、「去っていく」。そのようにして「行かない」と「去って行く」という矛盾と河の流れは交錯する。混乱し、思わず、目を閉じる。「逆さまに映った窓」を見ることもなく……。
男が目を閉じても風景は存在するか。同じように、本を閉じるように(窓を閉じるようにではなく)、目を閉じてその男を想像する。そのとき、読者のなかに男は存在するか。存在するとき、男と読者は「ひとり」に「なる」のか。どちらが、だれに近づくのか。「自分」を「失なう」のか。そんなつまらないことを、何本もの傍線を引いて「川」のなかに隠し(「川」という文字の中には三本の流れしかないが)、中断し、破棄された詩。
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