「昼の光」という、それまでの詩とは違った明るいことばで始まるのは、この詩が書かれたとき、詩人は女が妊娠したことを知ったからである。あのとき、昼の光のなかをすべってきた色鮮やかな虫の色。もしかすると、その輝きこそが女を妊娠させた精子かもしれないと思ったが、詩人は書かなかった。「反抗」ということばが、こうした場面にはただしいものかどうかわからないが、それは詩人だけがもっている予感という特権が暴走した証拠でもある。「反抗」ということばは向き合いながら、「裸の肩」が輝きが増すのを詩人は見ていた。
「机」について詩人がおぼえているのは、机の上にあった石膏像である。正確に言うと、それは机ではなくベッドの横の小さなテーブルなのだが、それを「机」と呼び変える習慣が詩人にはあった。眠る前にスタンドを消す。そうすると光をためこんでいた像が、熱のようにうっすらと闇のなかに残る。これが詩人の女に対する好みを決定づけた。したがって、一連目の「昼の光」は、ほんとうは詩人の喜びをあらわしているのではない。逆なのだ。あのとき、詩人は官能とは別の世界にいた。官能のなかにいたのは女ひとりであり、女に「特権」を奪われたのだ、と詩人は瞬間的に知ったのだ。これから起きることが何か、わからないまま、知ったのだ。
ちぐはぐな意味とイメージを行き来するその詩、破棄された詩は三連で構成されており、三連目のなかほどに「口は呼吸しているようにかすかに動く」という一行が線で消されて存在する。「声」は危険に満ちている。「畸型」ということばが、書いては消され、消されては書かれるのは、どんな疑惑の象徴なのか。「昼の光」、夏の森のなかの緑の影を受け止めながら輝いた「肩の丸さ」。それが輝いたのは、けっして詩人が無防備に射精したためではない。女が、その瞬間、そこにはない恍惚を思い出したからである。光のなかをすべるようにおりてきた鮮やかな虫。それこそが「事実」だったのだ。知っていて、詩人は、そのことを消すのである。ことばで。
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