三つの断章の、二つ目。
愛というものは
薔薇の新種のようなものだろう
そのつよい匂い
そのやるせない色
そしてもの憂いつかれ
もしそれを数え唄に唄おうとすれば
それはどこまでも果しなくなつてしまう
愛には限りがない、無数の形があるということか。
途中の「そのつよい匂い/そのやるせない色/そしてもの憂いつかれ」のリズムがおもしろい。「その」「その」と繰り返されている。新種の「薔薇」に意識が集中している。嗅覚と視覚が薔薇にぴったりと密着している。そういう強さを「その」ということばの響きに感じる。「その」と言わざるを得ない何か。
「そのつよい匂い/そのやるせない色」と「その」を繰り返すとき、匂いがいっそう強くなり、色がいっそうやるせなくなる。
ところが「もの憂いつかれ」には「その」ということばがない。肉体が薔薇から少し離れている。離れた場所で冷静に見つめている。
愛とは、そういうものも含めている。熱中するだけではないのだ。
29 出会い
この詩も短い。
ぼくは何処かへいつて
ある精神から一株の松葉牡丹を持ち帰つたのだ
(一日一日を小さな花でやさしく充たすために)
そしてこころの霜を消して
あたたかな斜面を登つていこう
その頂きでふたりは始めて出会うだろう
「ある精神」とは「女の精神」のことだろうか。その精神の象徴「松葉牡丹」によって自分の「こころ」を温める。「牡丹」は「愛」かもしれない。女の愛によって、自分のこころを温め、「霜」を消す。そういうことを想像している。
そのあとの2行とのあいだには、不思議な飛躍があるのだが、その説明しにくい飛躍がおもしろい。
「精神」というような冷たい(冷静な?)ことばではなく、「あたたかい」何かをたどっていく。あたたかいものを追いながら斜面(丘だろうか)をのぼっていく。そうすると、そこには女が待っていて、初めてのようにして、出会う。あるいは、ふたりで一緒にのぼっていくのだが、のぼりつめて、「その頂き」で初めて出会う。「その頂き」が「初めて」の印になる。「初めて」を実感する。共有する。そういう思いの強さが「その頂き」の「その」ということばのなかにある。
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