さとう三千魚『はなとゆめ』 | 詩はどこにあるか

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さとう三千魚『はなとゆめ』(無明舎出版、2014年10月30日発行)

 さとう三千魚『はなとゆめ』の作品は繰り返しが多い。「野外」という作品。

カタバミの花 咲いた
カタバミの花 咲いたの

きみのいない庭のアマリリスの鉢から

咲いた
咲いたの

カタバミの花

咲いたの

細い茎の先の
先に

むらさき色の花のひらいて

むらさき色の小さな花をひらいて
ひとつふたつみっつ

ひらいて

 書かれている「事実」は単純である。「きみのいない庭のアマリリスの蜂からカタバミの花が咲いた。むらさき色の小さな花である」ということが基本的な事実。なぜ、ほとんど同じことばで何度も繰り返すのか。
 対話なのか。ひとりが「カタバミの花が咲いた」と告げる。それをその花を実際にはみることができない人が「カタバミの花が咲いたの」と繰り返すことで、告げてくれた人が見ている世界を想像している。たとえば「きみ」はいま何らかの事情(病気や何か)で庭を見ることができない。その「きみ」に詩人は庭の様子を報告する。「きみ」はことばを繰り返すことで、自分が見た花の姿を思い出している。詩人といっしょに花を見たときのことを思い出しているのか。
 しかし、この詩は、もっと切羽詰まっている。
 詩人の孤独な対話かもしれない。「きみ」はいない。詩人はひとりだ。庭にカタバミの花が咲いた。その「事実」をことばで反芻する。最初に「カタバミの花 咲いた」というときは、「事実」、外の世界、客観的風景の描写だが、次にそれをくりかえすとき、それは「外の世界」ではない。詩人の「内部の世界」である。
 それは最初の3行目に象徴的にあらわれている。

きみのいない庭のアマリリスの鉢から

 「きみのいない」庭。きみがいてもいなくてもカタバミの花は咲いている。その「事実」はかわらない。「きみのいない」と書かなくても、「きみがいない」という「事実」はかわらない。
 「いない/ない」というのは、「客観」のように見えて、「客観」ではないのかもしれない。「いる/ある」は、その「事実」を描写することで証明できるが、「いない/ない」は簡単ではない。「きみ」という存在を知っていないければならない。「きみ」の存在を知らないひとは「きみのいない庭」とは言えない。
 さとうが見つめている庭は、「安倍首相のいない庭」と言っても「きみのいない庭」と言っても、さとう以外には同じに見える。「きみ」を知っているからこそ、「きみ」をおぼえているからこそ、さとうは「きみのいない」庭、という。
 「きみ」をおぼえているからこそ始まる、さとうの「内部の世界」なのだ。
 「きみのいない」ということばが書かれていないときも、くりかえされる2行目で、さとうは「きみ」を感じながら世界を見ている。

細い茎の先の
先に

 この不完全な(?)繰り返し、同じことをくりかえせずに、その一部だけを繰り返してしまう切実さは、後半に別の形でくりかえされる。
 ひとは大切なことは何度でもくりかえす。「事実」をことばでくりかえし、「内部」の世界にし、その内部の世界をていねいにととのえる。

むらさき色の小さな花ひらいて
消えていったの

消えていくものは

細い茎の先のむらさき色の花ひらいて
細い茎の先の小さなむらさき色の花ひらいて

先なるものと
より先なるものと

なってきみは消えていったの

消えていくきみがいたの

いくつも消えていくきみがいたの
いくつもいくつも消えていくきみがいたの

消えていくきみをしずかにささえていたの
消えていくきみをしずかにささえていたかったの

 「きみ」は「いない」のではなく、「きみ」は「いた」。そして「消えていった」だから、さとうはことばをくりかえすことで「いま/ここ」の「事実」を確かめているのではなく、「いま/ここ」を「きみのいた」時間へとつないでいるのである。
 突然いなくなるのではなく、そこにいながら少しずつ消えていく。何かが牛縄もテイク。「先」を残して、少しずつ消えていく。その「先」までの長い時間。最後まで「先」にあるのは、「きみ」がみせる懸命の笑顔の「花」かもしれない。
 さとうの「内部」にはいつも「きみ」がいる。その「きみ」が「いる」世界へ「いま/ここ」をしっかりと結びつけるために、同じことばをくりかえす。「先」から「元」へかえるように。
 ときには、同じことばをくりかえす余裕がなくて、急いで、急いで急いで急いで、そのいちばん重要なことばだけをくりかえす。
 さらに「ささえていた」に「ささえていたかった」という自分の「欲望/願い/願望」をつけくわえる。
 かなうことのない祈りのように。

 あ、くりかえしは「祈り」だったのだ。

はなとゆめ―詩集
さとう三千魚
無明舎出版

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