坂道--小倉金栄堂の迷子
本のなかの坂道をのぼると、
街灯のひかりが石畳の石の一個一個の丸みを磨いていた。
「しばらく前に雨が通っていったからだ」
前を歩いているひとのことばはそう翻訳されていたが、
「この坂を上までいっしょに歩いてみないか」という意味だとわかった。
並んで息をあわせると坂道は古めかしい漢字の名前に変わった。
そして坂の上の小さなホテルの前ではまた聞き慣れないカタカナの通りに。
受け付けの男が椅子を出して座っていた。たばこを吸うと、
その周辺に男の表情が広がるのが見えた。
「きょうはここまで。またいつか別の坂道で」
目を見ないまま、そんな意味のことばを聞かされて、
私は前に長くのびる影を追いかけるようにして来た道を下った。
背後、二階の部屋の明かりがつくのを見なかったが、
本のなかでは私は明かりがつくまで佇っているのだった。