
映画に副題がついている。そして、それが「説明」になっている。「意味」を説明している。「意味」しか残らない、つまらない映画である。
唯一の見どころは、既視感はあるものの、雨(嵐)の日の結婚式と披露宴。屋外での披露宴は、一応テントはあるが、風が吹き荒れ、テントが飛ぶ。あるいはテントの上に降り積もった雨の重さのために天幕が破れる。みんな水浸しである。人生の「晴れの日」が台無しである。けれど、このときのみんなの大はしゃぎがとても楽しい。雨にずぶ濡れになって、キャーキャー騒ぐというのは、こういう時しかできない。役者も演技でやっているのか、楽しんでやっているのがわからない。影像の情報量がとても多いのだけれど、うるさいとは感じない。にぎやかだ。雨なのに、光も明るい。
イギリスだねえ。
気候の激変がイギリス(ロンドン)というよりも、気候なんて変化するのが当たり前。それを楽しむ、というのがイギリスだ。だいたいイギリス人は遊びが得意だね。そしてそれも理不尽なゲームが多い。サッカーは手を使ったら反則で日頃はつかわない足でボールを動かす。ラグビーは前にゴールがあるにもかかわらずボールは後ろへしか投げてはいけない。ゴルフはバンカーや池という障害物がある。「簡単」をさけて、「無理」をする。その「無理」をするということがイギリス人は大好きなのだ。
ユーモアというのも、それだね。だれだって自分をよく見せたい。けれど、ちょっと「無理」をして自分を客観化し、自分を笑って見せる。「無理」によって人間が育つ、ということを本能として知っている国民なのだ。
で、そういうイギリス人が、自分の都合にあわせてタイムスリップして、人生を時々やりなおす。そういう「簡単」な生き方をする映画。「無理」をしない。女とのセックスがうまくいかなかった時は、セックスを始める前に戻って、もう一度やりなおす。何度も、気に入るまでやりなおすという安直な感じ。コメディーとしてはそれでいいんだけれど、ね。
でも、そういう「簡単」ができるんだったら、なぜ、雨の日の結婚式と披露宴? 日にちを決める日に戻って、そこからやりなおせば晴天の日の結婚式、披露宴ができるのに、なぜ? 変でしょ?
そして、この「変」を突きつめていくと、この映画のテーマ(意味)にもなる。
主人公の男とは最後に、自分は父親を超えた、というようなことをナレーションで語る。過去に戻って人生をやりなおすのではなく、何が起きてもそれを受け入れて、楽しむ。タイムトラベルの能力をつかわなくても人生を充実させて生きることができるようになった、と語る。
で、その「唯一」の何があってもそれを受け入れて楽しむ--という最初のシーンが結婚式だった。披露宴だった。そのシーンが充実していたのは、それがこの映画のテーマとつながっているからであり、またイギリス人の肉体(思想)にぴったりだったからだ。
この映画は、最後に主人公のナレーションがないとなんのことかわからないデタラメ映画に終わってしまう。ナレーションがこの作品を成り立たせているのだが、こんなナレーション頼みの作品なんて、私は映画とは呼びたくない。「説明」なんかには感動できない。
タイムトラベル能力があるなら、映画を見る前の時間に戻って別の映画を見た方がいい。
(2014年10月07日、天神東宝4)
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