Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
六 戦争責任論の位相 吉本隆明の出現
北川透の「荒地」への接近の仕方、「体験」と「経験」のとらえ方には、「体験」というものが置き去りにされている--と感じたのだが。
この「戦争責任論の位相」では、ちょっとおもしろいことが起きている。
吉本隆明の「日本の現代詩史論をどうかくか」を取り上げているのだが、
吉本は「荒地」グループの出現の意義を、《「詩と詩論」の系統の詩意識が、日本の敗戦革命の挫折と政治経済情勢の混乱や疲へいを、感受し》、日本の近代詩史上はじめて、ほんとうの意味で思想をみちびきいれたところにみている。それが古典主義的な方法、倫理的な主題という特質にあらわれているというわけである。(略)ここで吉本の考えの特徴的なところは、戦争体験そのものに、「荒地」の出現の意味を見ていないことである。彼は、戦争や戦場の極限情況がうたわれる時、不思議にリアリティがあるのは、《それがほんとう、敗戦革命の挫折にゆがんだ戦後インテリゲンチャの意識を象徴的につたえ、そのうしろにある混乱し疲へいした敗戦日本の秩序意識を反映しているから》だというように考える。 ( 145ページ)
ここで、吉本のことばを借りながら「体験」ということばが復活している。
戦争「体験」そのものに「荒地」の出現の「意味」を見ていない。「荒地」の出現の「意味」は、戦後インテレゲンチャの「意識」を象徴的につたえる、--つまり、それは混乱・疲弊した敗戦後日本の「秩序意識」を浮き彫りにするからだ、ということなのだろうか。こんなふうに要約していいのかどうかわからないが、私なりに理解すると、こうなる。そしてこれは言い換えると、「戦争体験」ではなく「戦後体験」が詩を生み出しているということになるのだが(つまり戦後の情況を体験することで、それまで動かなかったことばが動きはじめたということになるのだが)、「戦後」というのは「戦争」を体験しないことにははじまらないのだから、簡単に「戦争体験そのものに、「荒地」の出現の意味を見ていない」と言っていいのかどうか、私にはわからない。
私は「脱線」しているのかもしれない。ただ、思うのは、「戦争体験」よりも、その後の「意識」を重視するという読み方は、あまりにも、北川の「経験」重視の読み方、「体験」と「経験」を比較して、「意識」の方へ傾いていく読み方に思える。
「思想」は「倫理的主題」と言い換えられ、さらに「思想」は「意味」、「意味」は意識」とも言い換えられているように、私には感じられる。その「意味」「意識」に「個人的(個別的)」という限定をつけると北川の言う「経験」になるのかもしれない。「思想」とは「個人的(個別的)」な 「経験」をあらわす言語運動、個人的・個別的な「意味/意識」ということかな?
「敗戦革命の挫折」というようなことばを手がかりにすれば、「理念の挫折」を経て、それでもなお「倫理的」であろうとする意識、倫理的である意味というものが「思想」と呼ばれているものかもしれなのだが、北川は「思想」というものを、倫理や意味、意義のようなもの、人間の精神を導くもの、そのことばのように限定的にとらえているように思える。そういう「思想」化の動きを「経験」と呼んでいるようにも思える。
うーん、これは吉本の論の紹介なのかなあ。吉本もそう考えているのかなあ。吉本を引用しているけれど、北川独自の考えかもしれないなあ、とも思ってしまう。
「戦争体験そのものに、「荒地」の出現の意味を見ていない」というのは北川の考え方であって、その考えを補強するために吉本を引用しているように思えてしまう。
「思想」のとらえ方は、私の考え方とはずいぶん違う。私は「理念化」されなくても「思想」はあると思っている。「思想」をもたない人間はいないと思っている。私と北川の考えている「思想」は違ったもののように思える。だから、私は北川の書いていることを百分の一も理解していないかもしれないが、それはそれで仕方がない(?)と思っているのだが……。
北川もまた吉本の書いていることから少し逸脱していると思う。
と、いうのも。
吉本の「荒地」評価を引用、定義し直した上で、北川は吉本の文章をさらにいくつか引用し(「荒地」の運動としての役割は終わったという論を引用し)、次のように書く。
吉本によって、「荒地」の転換あるいは変容の意味はとらえつくされているものの、いま、わたしが読んで不十分に感じられるところは、その転換が<体験>という側面でのみとらえられていて、<荒地>の共同理念化という側面にはほとんど注意がはらわれていないことだろう。(146 ページ)
先の文章では「荒地」の出現を戦争「体験」そのものに見ていないと吉本を評価(?)しておいて、ここでは「荒地」の転換を「体験」という側面でのみとらえていると書いている。何か「論理の整合性」がゆらいでいる。
北川は「戦争体験」と「戦後体験」は違うということになるのかもしれないが、どうも北川の文章からは「体験」というものがわきにおいやられてしまう気がしてしようがない。「体験」よりも「体験の理念化/経験」、そこから生まれる「思想(倫理的意味、意義)」へとことばを動かしていこうとしているように思えてしようがない。 「理念化」(言語化)がいそがれすぎているように感じられる。
しかし、おそらく実感を失いだしたのは、戦争や戦後の極限情況の体験ばかりではない。第一次大戦後のヨーロッパの戦後意識というフィルターを通して、培養された<荒地>の理念も実感を失いだしていたはずだ。そして、この擬似的な戦後意識の実感喪失は、彼らに、まさしく敗戦革命が完敗、戦後資本制がよみがえるに至る、戦後体験や生活意識の思想化という課題をもたらしたのだ。( 146ページ)
よくわからない。「体験」の実感が失われるというのは、単に「だんだん忘れる」ということだと思うが、「理念」が実感を失うというのは「忘れる」ということとは違うと思う。「理念」が実感を失うのは「現実」と「理念」をかみ合わせようとしてもかみあわなくなることだと思う。でも、その「理念」というものが自分の生きている現場ではなく「第一次大戦後のヨーロッパの戦後意識というフィルターを通して、培養された」ものなら、それは最初からかみあうはずがないものだったのではないだろうか。
「戦後体験や生活意識の思想化」ということばがあるが、「体験」を踏まえない限り「思想」というものは、絵空事の「理念」になってしまうのではないだろうか。その「理念」が「絵」のように鮮やかだとしても、それは瞬間的に鮮やかに見えただけのことにすぎないように思える。
北川がここで書いていることは「理念」を追い求める(理念の整合性追い求める)ことに忙しくて「体験」を置き去りにしているように思えてしようがない。
*
こうしたことと関係があるのかないのか……。
『死の灰詩集』に対して鮎川信夫は次のように批判している。
政治的、社会的現象を背景にして、ある思想的な指導原理に基づき、民衆の感情をひとつの方向に導くというようなものは、僕はいついかなる場所にあっても好まない。(151 ページ)
これに対して、北川は書く。
鮎川にとって集団的な背景をもっている観念は、理屈ぬきに嫌悪の対象なのである。これをわたしは、彼の個人主義と見るよりも、そこにこそ鮎川の戦争体験の気質的な核心があったと理解している。従って、彼は国家のためであろうと、人民のためであろうと、社会福祉のためであろうと、集団的な匿名の権威によって指導されたり、画一化されたり、篩にかけられることに耐えられない。その感情には発展性がないかも知れないが、なまじっかの附け焼刃の思想よりも強力に、本来的に個人的契機の上にしか存立しえない詩の擁護として働くのである。( 152ページ)
ここに「体験」が出てくる。「鮎川の戦争体験の気質的な核心」。私は、これこそが「思想」ではないかと思っている。「体験」そのものが「気質」とからみあって、「感情」になっているもの。けっして「理念」化できないもの。それは「理念」を生み出すけれど、「理念」にはならない。常に「理念」に意義を唱えて、個人へと引き返していく力。「体験」そのものが「思想」だと思っている。
あ、書き急いでしまったかな……。
北川の文章を読むと、「理論(論理)」が先に進んでいって、「体験」がどこかに置き去りにされているような気がして、それが不安になる。
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